風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

腰を痛めた

朝、部屋の掃除をしていて少し中腰になった途端に痛みが走った。軽いぎっくり腰か。すぐに家内にお願いして湿布薬を貼る。痛みはある特定の角度になった時に走るが、普通にしている分には問題ない。明日から関東にバードウォッチング遠征に行くのだが、双眼鏡、カメラが入ったリュックを背負いキャリーバッグを引いていくのだが大丈夫かな?
少々不安であるが新幹線もホテルもレンタカーも息子との夕食のレストランも予約済み。痛み止めと貼り薬に頼るしかない。。少し前から背中が張ったり腰に違和感を感じたりはしていた。今週は叔母のお通夜、お葬式で車に乗ったり喪服で体を締め付けたりで来るべきものがこのタイミングで来たのかも。

こんな小さな痛み、不快感だけで人生の大きな不幸のように感じる。不幸感や不快感は大きさに関係なくあっという間に脳の中に広がって居座ってしまう。不思議なものでものすごく大きく厳しい不幸感や不快感でも上限というものはあって、人間の感覚はその上限と下限の間で揺れ動く。

昨日はバレンタインデーで家内から今年もチョコレートを頂いた。
感謝しかない。

 

舟歌:最近の練習

以前の記事で書いた通り、ショパン舟歌をさらい直しているのだが、最近の練習の状況についてここに書いておく。

最初やり直しを始めた時は、手も全然動かず譜面もすっかり忘れていて、取り敢えずたどたどしく譜面を読み進め、うまく弾けない箇所に番号を振ってゆっくり繰り返すようにしていたのだが、それなりに弾けるようになったので最近はまず1回ゆっくり目の速度で最後まで通して弾いて、依然として思うように弾けない箇所に付箋を貼り、そこだけ取り出して繰り返し練習をしている。この時、速度は相当ゆっくりで、場合によっては変リズム練習をしたりスタッカート練習をしたりもしている。練習あるあるだが日によって付箋が貼られる場所は変わったりする。

今日、通してみるとまだ7箇所に付箋を貼らねばならなかった。これが少しずつ減っていくことを信じてこつこつ練習を続けたい。ただ集中力が続かないので通して弾くのは1回だけ、部分練習も一箇所5回とか多くても10回以内にしている。楽しみと集中と頑張りのバランスの取れた所でやめないと飽きてしまったり嫌になったりするので。

しかしこの付箋を貼った1ページめの6度の下降は永遠に満足に弾けないような気がする、苦笑。メロディを弱い4と5の指でスタッカートでかつleggieroに弾くのは至難だ。ショパンエチュードOp.10-10なんかをしっかり弾けなければ無理だろうなぁ。。。

アメリカヒドリ雌には会えず

特に見たい鳥、行きたい場所はないけれど久しぶりにアカハジロを見るか、と思い車に乗る。世界的希少種なので近くで見ることができるのは僥倖なのだが、行ってみるとお昼寝の最中だった。たまに頭を上げて10秒ほど泳ぐがあとはまたお昼寝。それでも綺麗な生殖羽になっていて頭の深緑色が美しい。

 

しかし一瞬しか頭を上げてくれないので30分ほどで、比較的近くの川に行き以前観察したアメリカヒドリ雌を探してみた。川岸をゆっくり歩いて探す。前回来た時と違ってカモの数が少ない。カワセミが川岸にいて写真を撮っている人たちがいる。ジョウビタキ、モズ、セグロセキレイなどは前回同様にいるがヒドリガモがそもそも見当たらない。ずっと上流まで歩いて行ってやっとヒドリガモの群れを見つけたたので、双眼鏡で一羽ずつチェック。しかしアメリカヒドリ雌は見つけられなかった。どこか居場所を変えたのだろう。しかし歩いているだけで気持ちの良い川なので楽しむことができた。

 

忙しい一日

昨日は忙しい一日だった。
午前は公証役場へ行って公正証書遺言状の作成依頼を。この歳で遺言状を作る人は少ないと思うのだが、父の相続(やっとあらかた片がついた)に大変な労力と時間を費やしたので自分の家族にこんな思いをさせたくないと思ってのことである。公正証書遺言状は非常に強い効力を持つので、僕が死んだら家内はこれを司法書士のところに持ち込めば簡単に相続は片付くはずだ。書類関係の準備を万全にしていったお陰で20分ほどで公証人の先生とは話がついた。あとは原稿作成を待つばかり。

僕は高齢者が「もうこの歳だから自分の好きなように生きる」と言うのが嫌いだ。人は最後の最後まで社会の一部であり、その軛から逃れることができないまま死に至る。ひとは生きている限り誰かの世話になり周囲に迷惑をかける。「好きなように」なんて生きようがないのだ。だからこそ自分にできるできる限りのことを投げ出さず、面倒がらずにやっておくことは義務だろう、と思う。

午後は成人病検診へ。このために朝食後は何も飲まず食わず。体重はコントロールできていて良かったが、視力が非常に悪かった。目は調子の良い日と悪い日がある。
退職後初めてこの健康診断センターに行ったのだが、まるでホテル並みの内装でびっくり。スタッフや看護師、医師の方々も非常に親切かつ丁寧な応対で、この業界も競争が激しいのだろうなと思った。検査が終わって最後に近くのカフェで使える軽食券までもらえたのには驚いた。

帰宅してクラシック倶楽部を聴き、野鳥写真を整理。家内は仕事の日なので夕食は近くのスーパーで買った握り寿司。夜にはピアノを弾いて今日はおしまい。

 

 

 

バッハ=ヘス:主よ、人の望みの喜びよ

ピアノを弾くときはこの曲を最初にゆっくりゆっくり弾くことにしている。実際の演奏速度よりずっと遅く、それも小さな音で。自分の普段の行いを悔い改めるとか(苦笑)、手を温めるとかそういう意味ではなく、この曲を弾くことで心が落ち着き、音楽に入り込める気がするので。

この曲はバッハの教会カンタータ(BWV147)をマイラ・ヘスがピアノ編曲したものなのだが、ピアニストのヴィルヘルム・ケンプが編曲したバージョンもある。そちらの楽譜も持っていたので今日、弾いてみたのだけれど、ヘス編曲のものに比べてコラールの部分で重低音を多く使うドラマチックな編曲になっており演奏難度も高い。神への強い信仰心を高らかに歌い上げるような編曲で、ヘスの穏やかさ、心の温もりと静かな信仰心が前面に出た編曲とはかなり違う。世界中のピアニストの殆どがヘス編曲のほうを弾いているのもむべなるかな、と思った。こちらがケンプ編の最終部分。

演奏ではザッハリヒな中にも温かさと誠実さを失わないリパッティの演奏も名演と思うが、ここでは編曲者であるヘス本人の演奏を推したい。

pf. ディヌ・リパッティ

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pf. マイラ・ヘス

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可愛いカリガネ

先週から珍し系の鳥が出て片道3~4時間の遠出を2回した。

ひとつはワキアカツグミ。ヨーロッパでは見たことがあるが国内では未見だった鳥。

もうひとつはカリガネ。マガンの群れに入っている鳥なので、マガンが沢山来ているところで望遠鏡で1羽ずつ探すのが普通なのだが。(上の写真は昔、宮城県でマガンに混じっているのを見つけた時の写真。黄色いアイリングが可愛い)、

今回のカリガネは1羽でいて無心に草を食べていた。ガン類は非常に警戒心が強いのが普通なのにこの子はどうしたんだろうか?

フーガの技法

今朝録画した「クラシック倶楽部」はカザルス弦楽四重奏団の演奏するバッハの「フーガの技法」だった。聴いているうちに自分がいかにこの曲が好きだったのか、思い出がふつふつと湧き上がってきたのでここに書く。

最初にこの曲を聴いたのはグレン・グールドの演奏だったのではないだろうか?グールドは冷戦の最中の1957年にソビエト連邦のモスクワに出向いてコンサートを開いたのだが、そのライブ録音だっただろうと思う。このCDを聴いて衝撃を受けて自分もピアノで弾きたい、と思い楽譜を探したのだが、およそ30年前にはもちろん無料のPDF楽譜なんてなく、ブライトコップの原典版かペータースしか楽譜は売ってなくてそれもどえらく高い値段だった。お金がなかった僕は弦楽四重奏のポケットスコアを買い、自分で二段のピアノ譜に書き直して弾いたのだった。

今回、弦楽四重奏団の演奏で聴くとやはりピアノでこの曲を弾くのは相当無理がある、と改めて思う。弦楽四重奏ならヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで音色が違うことが大きい。それとそれぞれの楽器で非常に繊細な強弱の変化をつけられる。どんな達人であっても10本の指でそのような芸当はできない。

それでもグールドの演奏を改めて聴くと、凄い!と思う。人間にこんな演奏ができるのか!特に36:57からのコントラプンクトゥスⅣは本当に凄いとしか言いようがない超名演だと思う。(このモスクワライヴはベルグソナタOp.1など他の曲も凄いのだが。。)

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出水のツル

鹿児島県出水市までツルを見に一泊二日で行ってきた。
出水にはマナヅル、ナベヅル、カナダヅルが毎年やってくる。特にナベヅルは世界の生息数の8割、マナヅルは5割が出水の狭いエリアにやってきて冬を越す。世界的に類を見ないツルの越冬地だ。

今回は上に書いた3種に加えて1羽だけ飛来しているソデグロヅルも見つけて楽しむことが出来た。ツル以外の鳥も沢山見ることが出来てとても楽しい旅だったが、一番感動したのは夜明けごろのツルの塒(ねぐら)立ち。数千羽のツルが一斉に塒から飛び立ってゆく。その声と羽の音はすごい迫力。

日の出前、ツルたちが飛び立った時、西の空にはちょうど満月が沈もうとしていた。ツルたちが飛び立って満月の前を横切ってゆく。それはそれは幻想的な光景だった。

モーツァルト ロンドイ短調 K.511

随分昔にこの曲に出会った。モーツァルトのロンドと言えばレッスンでよく取り上げられるニ長調のロンドK.485が有名だけど、このK.511はもっと取り上げられていい名曲だと思っている。出会いは確かベルギー大使館(文化協会?)主催のミニコンサートだったように記憶している。フォルテピアノの演奏会で仕事の関係で案内が来て期待せずに行ったのだが、その時若い奏者がこの曲を弾いたのだった。長い曲だけどちっとも退屈しなかった。僕は演奏に惹き込まれすぐに楽譜を買った。

それからピアノでよく弾く曲になった。この曲はモーツァルトの死の4年前に書かれた曲だが、哀しみに満ちていて、その中にも静かな明るさ(それは諦念を感じさせるが)もある。多く使われる半音階と転調が不思議な美しさと共に不安定さも感じさせるのだ。


僕がこの曲で一番好きな部分は楽譜で→をつけた部分から最後まで。美しくも不安げに大きく動く左手の音形に重ねて右手でテーマが歌われ、続いて右手と左手が役割を入れ替えて最後の部分に至る。この部分は弾いていてぞっとするほど美しい。

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ピアノリサイタルを聴きに行った。

ザ・シンフォニーホールでのピアノリサイタルに行ってきた。
ここに音楽を聴きに来るのは何年ぶりだろうか?懐かしい。

この日はオールショパンプログラム。バラード3番、バラード4番、幻想ポロネーズと僕の好きな曲が含まれていたので楽しみに行ったのだが、少々残念な思いを持つことになった。

まず第一にピアノがヤマハのCFXだったこと(最初に演奏者がわざわざ東京から運んだ、と言っていた)。僕はヤマハの音がなぜか苦手なのである。それでも新しいCFXだし違う響きなのかも、と期待したのだがやはりヤマハの音だった。人によってはスタインウェイのきらびやかさは苦手という人もいるので好みなのだが、とにかく僕は苦手なのでどうしても音楽に没入できなかった。これが最初のつまづき。

次に座った場所の問題なのか(2階席だった)、ペダリングの問題なのか、フォルテ部分では残響がきつくて個々の音が立ち上がって来ずクリアに聴こえない。これも音楽への没入を妨げることになった。さらに1曲ごとに演奏者本人が丁寧に作曲された背景や聞き所などを解説したこと。話している内容は面白かったし参考になる話だったのだけれど、ひたすら音楽に集中したい、没入したいと思って来場した僕のような聴衆にとっては集中を切られる感じで残念だった次第(というか演奏者がよくあの形式で集中を切らさず弾けるものだと感心した)。

演奏そのものについてはコメントは特にない。僕はショパンの音楽に没入し感動したくて来ているので、演奏者の演奏技術や解釈についてはさほどの興味はないし、そもそも批評できるような立場でもない。もともと演奏の上手い下手については随分と許容範囲が広いほうだと思っている(例えばベートーヴェンピアノソナタ第31番の第3楽章などは、過去一番感動したのはレッスンではバイエルまでしか弾いたことがないと言っていたアマチュアの演奏だった)。この日は演奏以外の要素で今ひとつ没入できなかったのが本当に残念だった。