風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

施設に入るということ

一人暮らしをしていた90歳超の義父が体調を崩して入院していたのだが、主治医からこれ以上の一人暮らしは無理と宣告され、施設に入る方向で検討が始まった。義母は数年前に認知症を発症してすでに施設暮らし。義父はずっと施設に入ることを断固拒否して一人暮らしを続けていたのだが、とうとう本人も覚悟を決めたようだ。

これまでは家内と家内の妹が定期的に実家に通って介護をしていたのだが、なにせどの手段を使っても行くだけで6~7時間かかる辺鄙なところなので、通いの介護も限界だった。義父はとても頑固な人でヘルパーさんや訪問看護師が家に入るのも嫌がり、主治医が禁止している酒も止めず、家内も義妹もほとほと困りきっていた。

こういう様子を見ていると他人事とは思えない。僕だって将来、こういうシチュエーションに追い込まれるかも。義父にとってはきっと「施設に入る」というのは「強制収容所に入れられる」あるいは「刑務所に入れられる」ような気分なんだろうな、と思う。個室は与えられても食事は時間が決まっていて好きなものばかり出るわけではない。最大の楽しみだった酒は飲めない。持ち込める楽しみは限られている。。。
その辛さは想像するにあまりある。。。。

ただ一つ、自分の世話で家族に迷惑をかけずに済む、ということだけが施設に入るときの心の支えだろうなぁ。施設に入っても室内でできる趣味をもうひとつ、何か始めてみるか。

ピアノ練習を2時間以内に制限することにしました。

どうも最近体調が悪い。頭がぼんやりして目も疲れていて何もやる気がおきない。最初はサッカー中継やMLB中継を見すぎているからか?とも思ったが、肩・首の凝りもあるので、ははぁ、これは多分ピアノ練習だな、と気づいた。

ブラームスのOp.118-3バラードが停滞している。
6月末までに仕上げて録音するつもりだったのに、6月中旬からなかなか改善が見られない。改善が見られないが故に練習方法を考えてトライアル&エラーしているとあっと言う間に時間が経ってしまい、気がつくと3時間とか弾いていたこともあったと思う。もう若くないのにどう考えてもこれはやりすぎだ。

この曲の問題は2つあって、ひとつめは素早い跳躍だらけであること。ふたつめは跳躍はないが10小節4拍目からEs-durに転調する部分。速い跳躍はg-mollの部分だが僕が弾きたい四分音符=130で弾くことにすると速すぎて楽譜を目で追えずミスタッチが増えてしまう。では暗譜して鍵盤のみ見て弾けるか、というとまだ心もとない感じ。なんだかどっちつかずなのだ。ふたつめのE-durの部分はトップノートだけが響くように弾くわけだけど、和音の他の音もできる限りちゃんと弾こうとすると、構成音が微妙に変わってゆくのでなかなか難しい。これもスピードが速いがゆえの問題。(譜面はこちら↓。青&緑の部分)

加えて、この曲が仕上がっていないにもかかわらず、次の曲の譜読みを始めてしまった。前にも書いたが僕は新しい曲の譜読みをするのが曲を仕上げるより好きなので、こちらもやりだすと面白くて興が乗ってしまう。譜読みをしていると、曲の響きとかメロディの美しさ以上に和声が気になり、使われている和音や転調にいちいち感動したりしているので、あっという間に時間が経ってしまう。それに弾きにくい部分があるとつい部分練習してしまうし。。。

しかし、体調が悪いとQOLが下がるので、考えた末にピアノの練習は2時間以内に制限することにしました。QOLを上げるための趣味でQOLが下がるのは本末転倒だ。タイマーをピアノの横に置いて何があっても2時間で練習はやめて体調の変化を見たいと思う。発表会があるわけでも人前で弾くわけでもないので、急いで仕上げる必要性もない。しばらくこの形でやってみようと思います。

この夏のバードウォッチングは休業

今週の月曜日、小型船で海鳥観察に行く予定だったのだが海況が悪く中止。予備日にしていた翌火曜日もギリギリになってやはり波風強く船は出せないということで、現地に行くまでもなく中止と決定した。僕の夏のバードウォッチング遠征の予定はこれで終了。毎夏、小笠原航路に乗り船上での海鳥観察を楽しんでいたが、今年は予定を入れなかったのだ。

もう渡りの時期は終わり夏鳥たちは山で繁殖に入っている。今年の夏は熊が僕の住んでいる地方でも確認されており、山や森には家内が怖がって行くことができない。ということで山も海もアウト。残念ながら秋の渡りが始まるまではバードウォッチングは休業だ。

もっとも家内は1週間後にボルネオに出発する。僕は今回はそれにも行かないのでひとりで家で留守番。11月に予定しているアフリカ遠征に向けて鳥名を暗記したりするにはまだ少し早い。来年春にフィリピンのネグロス・ボホール島への遠征を計画しているのでその打ち合わせを現地ガイドさんと進めることにしようか。

僕のメインの趣味はバードウォッチングだったけど、この状況なので当分の間、ピアノがメイン趣味になりそうな気配です。

 

平均律第2巻12番の前奏曲とフーガを録音しました

バッハの平均律クラヴィーア曲集の第2巻12番ヘ短調の前奏曲とフーガを録音しました。  ↓

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前奏曲
この曲は「受難曲」と思っているのだが、弾いていて違和感があったのは繰り返し。前半・後半に繰り返し記号があるのだが、前半はいいとして後半を繰り返すのに違和感があった。曲想もそうだし最後69小節目に強烈な減七の和音があって悲痛な声とともに終わるようになっている。これをもう一度繰り返す意味が分からず、後半は繰り返しを弾くのをやめようと思っていた。

先日、あるプロのピアニストの方とお話する機会があったのだが、そこでこの疑問をぶつけてみたところ、(わざわざ楽譜を出して試弾までして下さって)、「一回目と二回目で違う物語として弾いてみるのもありでは?」とのご意見。なるほど、そういう考え方もあるな、と思って考えてみた。一回目は信徒たちが受難の嘆きを歌うのだが最後は哀しみに打ちひしがれ弱々しく嘆いて終わり、繰り返した後のニ回目は最初、少しだけ(復活の)希望にすがるように天を仰ぐが、すぐに「嘆きのモティーフ(以下楽譜の緑の音符)」が厳しく流れ、想いを打ち砕くように音楽が進み、最後は大きな嘆きと哀しみ(減七の和音)とともに終わる、という解釈でこの録音は弾いてみたがどうだろうか?まぁ僕の勝手な思い入れだけですが😅。

あとマニアックなこだわりですが、以下譜面の38小節の赤色の音符、音源を聴くと結構なピアニストが前のファの音のタイという解釈でこの音を弾いていない。だが、よく見るとこの音はソプラノでは確かにタイだが、アルト声部の音はタイではないので、弾かなくてはならないと考え僕は弾いた。リヒテルも弾いていないのでドキドキだが。。。😅

フーガ
フーガの構造より、とにかく本能に反した指使いと指替えに苦しめられた。普通に弾くとこうだろう、という指使いで弾くと指が足らなくなるという「バッハあるある」😅。この曲は高速で「テクニック見せびらかし曲」として弾かれることがあるのだが、僕はそれがすごく嫌で、曲想の動きとモチーフをできる限り表現しようと心がけた。八分音符を全てスタカートで弾くと単調でうるさくなる、と思ったので第三間奏では八分音符は極力レガートで弾いた。特に第ニ間奏の青線で囲ったフレーズ(以下譜例)などはちゃんとアルトが音型に聴こえるように弾きたいと思って頑張った(ネット音源でもソプラノとアルトがごちゃまぜに聴こえる演奏が多い)。とまぁ偉そうに言ったがキズも多いし大したことない演奏で終わりました🙇。フーガ主題の音符は赤色で、強弱記号は全部自分で考えたものです。

さて、2回続けて平均律の曲を録音してみたが、やっぱり平均律は難しいよなぁというのが正直な感想。バッハは平均律の副題に「クラヴィーアに熟達した奏者の慰めの為に」と書いたそうだが「下手な素人ピアノ弾きの苦しみのために」と書き直そうかな。。

ところで上に書いたピアニスト氏との話の流れで、今度、大曲に取り組むことにしたので、次のサイドメニューはもう少し気楽に弾ける曲にしようと思います。
平均律はちょっとお休み。

メジロの雛たち

超久しぶりに近くの公園へ。歩いてもほとんど鳥の声がせず寂しい限り。それでも木の中で鳥影が動いていたので双眼鏡で見るとメジロの雛がいた。ちょっと「メジロ団子」風。

そのうちメジロ団子はバラけたが、残った雛は羽を震わせて餌ねだりをしていた。

 

すると親鳥がやってきて餌をあげてた。見れた鳥はほぼこれだけ。

紫陽花がたくさん咲いていた。これからは梅雨真っ盛りになるだろう。

アコースティックピアノの音

事情があって実家にある程度の頻度で行かないといけないことになった。今のところ、月に2回程度かと思うけれど、いずれ行く頻度を上げないといけないかもしれない。実家には1964年に購入したヤマハのアップライトピアノがあり、もう30年以上弾いた記憶がなく調律もしていないのだが、せっかくあるのだからと調律師にお願いして30年以上ぶりに調律してもらった。

ピアノの全景と開けたところ。2時間以上かけて調律師の方は調律して下さった。さて、すぐ帰らないといけなかったので弾いてみる時間はほとんどなかったのだが、ちょっと鳴らしてみてびっくりした。生ピアノを弾くのは確か13年ぶりかと思うけど、あまりに電子ピアノと違うのにびっくり!ただ13年前も電子ピアノを弾いていて久しぶりに弾いたスタジオの生ピアノ(スタインウェイ)にさほどの違和感を感じなかったので、今回は???だった。

スタジオのピアノ。ヤマハのC3。

あまりに違和感があったので、歩いていける近所のグランドピアノのあるスタジオに行ってみた。ヤマハのC3だったが、ダンパーペダルは踏むたびにガタンガタン音がするし、調律は狂っているし、ソフトペダルは鍵盤は横スライドするが音はほとんどくぐもらないというなかなかの代物だったが、実家のピアノと共通の感じはあって、電子ピアノとアコースティックピアノは全く違う楽器だなぁと改めて強く感じた次第。

それでも弾いているうちに感覚が思い出されてある程度は操れるようになった。特に違いを感じたのは、低い音を弱音で弾く時、打鍵速度がある程度ないと音がきちんと鳴らないということ。電子ピアノの鍵盤はスイッチなので押せば音が出るが、アコースティックピアノは打鍵速度が一定以上ないと太い低音弦を鳴らせないので当然か。あとはメカニズムの違いによる鍵の戻りの速さ。違いがわかってくると面白くて1時間があっという間だった。

せっかく実家のピアノも調律したことなので、時々弾こうと思っている。同時にこのレンタルスタジオもピアノはイマイチだが、安いし(1時間1600円)近いのでまた弾きに行くのも面白そう。ただ、僕のメインの楽器はあくまで「電子ピアノ」なので、今後も録音は電子ピアノでするつもりです。

シニア劇団の公演を見に行った

昨年、11月に見に行った友人の奥さんが入っているシニア劇団の公演があるということで再び見に行った。今回の劇場のホールは前回よりずっと立派なところで、250名は入るだろうというホール。驚いたことにほとんど満席になった。観客もシニア層ばかりだったので、劇団員の家族・友人がほとんどなのだろう。

始まる前の舞台を写した写真だが、いきなり船の舳先が。。。一瞬、バイロイトでハリー・クプファーが演出したワーグナーの「さまよえるオランダ人」を想起したが、始まってみるとこの船に乗って登場したのは劇中劇の七福神の神々だった、笑。(話は逸れますが昨年末にNHKで放送された東京二期会の「オランダ人」、すごく良かったですね!)

さて、劇のほうは非常に凝った脚本で、劇中劇もある二重構造になったお話。その中で、病気、老い、墓じまい、子供との軋轢など、高齢者ならではの悩みや辛さが散りばめられているのだが、思わず吹き出してしまうような可笑しい場面も多々あり、大変楽しい公演だった。今回、何より感心したのは出演者の声の張り。80歳台の方も数名おられるのに、大きくよく通る声で演技をされていた。当然、ボイストレーニングなどをされているのだろうが、立ち回りを含めた体力と演技力には感心した。

友人の奥さんの話だと公演前になると毎日稽古を長時間されていたようで、それぐらい皆さん、頑張ってやられたのだろう。面白かったのは、劇団員の子供役が、
「お母さんがやってることなんか子供の学芸会と同じ。
    どうして劇団がそんなに大切なの?」
と言うのに対して、劇団員の母親が
「ここが私の居場所。私の生きがいなのよ」
と言うセリフがあり、これは劇団員の本音なんだろうなーと思った。

趣味なんて言ってしまえば遊びで、もっと言えば死ぬまでの暇つぶしなわけだが、「生きがい」とは仕事にしても趣味にしても、やっている時の「充実感」とか「没入感」のことなので、それを否定してしまうと何もできないことになる。問題はその中での「重み付け」で現実の中で優先しないといけないこと(他人に迷惑をかけていないか?とか)だけは間違えないように気をつける必要はあると思うが。

一人でやる趣味以上に、劇団とかオーケストラとか集団でやる趣味はより没入感は強いだろうなと思います。きっと滅茶苦茶やりがいを感じられて楽しいだろうと。。。でも、羨ましいか?と聞かれればそうでもないなぁ、というのが僕の思うことですが。

ブラームスOp.118-2の解釈について

練習中のブラームスのOp.118-3バラードはなんとか通してテンポで弾けるようになったが、まだミスタッチもあるし、表現も練られていないのでこれから仕上げに入って6月末までに録音アップして終わりにしたいと思っているが、どうなることか。。今日はその一つ前のOp.118-2について。

以前も書いた通り、この曲は昔、レッスンでもやって人前でも弾いた曲なのだが、当時の僕は『ブラームスが、クララとのかなわぬ恋の想いを中間部49小節からの男声(ブラームス)と女声(クララ)で表現し、64小節目からはそのお互いの気持ちのズレの哀しみを歌った後、77小節からは「友情」というやむない形に気持ちが落ち着いていく』という解釈で弾いたのだった。しかし、今では『この曲はひたすらブラームスが一人称でクララを想う気持ち、愛情を純粋に描いたと考えるほうが良い』と考えるようになった。

Op.118-2ではクララへの愛情を率直に表していると思った理由のひとつはいわゆる「クララ音型(クララ・コード)」が多数埋め込まれていること。冒頭の部分でのクララへの呼びかけ【シューマンが協奏曲冒頭に使った(Cis-H-A)、シューマンの「謝肉祭」 Op.9の中の曲で登場人物の一人として出てくる「キアリーナ(Chiarina)」のモデルがクララ。Chiarinaをドイツ音名で抽出すると(CHAA)】、そして中間部の部分【Cis-Fis-E-Dis-Cis-H(1回上がって下降する5つの音)シューマンの「子どもの情景」の第1曲などに使われている】を考えると、中間部は男声と女声ではなく、ブラームスのクララを想う気持ちが不安も含めて自分の声で繰り返し語られていると考えるほうがフィットする、と今は考えている(以下譜例を上げます)。

冒頭のクララ音型。本来はCis-H-Aだが、Cis-H-D、Cis-H-A(オクターブ上)
となっている。どちらも『クララ』と呼びかけている。

49小節、64小節からのクララ音型(赤が上声、青が下声)

しかしながら、Op.118が作曲された直前にクララと絶縁に近い危機を迎えていたことからも、クララに対するブラームスの気持ちが「暖かさ」「愛情」「憧れ」だけだったとは思えない。Op.118の全曲を使ってブラームスはクララへの複雑な想い全てを可能な限り描いたのだろう、と感じている。「苛立ち」や「哀しみ」「想いがすれ違ったことの苦さ」などとても複雑な感情が特に118-3や118-6では表現されているのではないだろうか。

このOp.118-2も新しい(自分なりの)解釈でもう一度、弾き直してみたいなぁと考えている。まだ先になるだろうけれど。。。

ブラームス Op.118-2 イ長調 pf:ルプー
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可哀想なオオミズナギドリ

僕の最近のバードウォッチングは海鳥観察ばかり。公園や農地で野鳥カメラマンのトラブル(違法駐車とか喧嘩とか一般人の通行の邪魔とか)が増えていることが一因(自分たちは同類と思われたくないということ)だが、それ以外にも熊の出没なんかも理由のひとつ。というわけで今回も海鳥の話だが、銚子で小型船に乗った2週間後、こんどは名古屋からフェリーに乗って北海道の苫小牧まで行った。苫小牧に行くのが目的ではなく、フェリー船上から海鳥を見つけて観察するのが目的だ。

この季節らしい海鳥たちとの出会いはあったが前回記事とかぶる鳥の写真は割愛。多少珍し系でいくと、このトウゾクカモメ(暗色型)。長く伸びた尾羽(スプーンと呼ぶ)が見える。

カマイルカの群れ。数十頭を見た。

海鳥観察をしていてふと後ろを振り返ると甲板にオオミズナギドリが降りていた。船のどこかにぶつかって落ちたのだろう。意識が朦朧としている様子でほとんど動けない。近くに何かを吐いた跡もある。

鳥インフルエンザもあるし我々が触ることもできない。船のスタッフに言いにいったが、よくあることなのか何も対応しない(できない?)雰囲気。可哀想だなぁ。。。

仕方ないのでこの鳥は放置して海鳥観察を続けたが、ふと振り返るといなくなっていた。どうやら意識がはっきりしたのか飛び立ったようだ。やれやれ、良かった。。。

そんなハプニングがありながらも船上2泊で船は苫小牧に到着。新千歳から飛行機で帰るのに時間があったので苫小牧の森でバードウォッチング。今季初めて美しいオオルリに会えた。久しぶりに陸の鳥を見たなぁ、と嬉しかった。

最近のピアノの練習

最近、どんなふうにピアノの練習をしているのかメモ書き的に。
譜面台に乗っているのはバッハの平均律第2巻12番のフーガのコピー譜(譜めくりが必要なほど長くないので電子楽譜PiaScoreにスキャンして取り込んだ楽譜を印刷して使っている)。譜面の左に置いているのが練習メニューを書いたメモ帳。やっている曲とどんな練習をするかが書いてある。

スケールとアルペジオは長調2つ、短調2つを先日作ったアプリの表示に沿って。

ブラームスのOp.118-3は部分練習中心。例えばH-durの部分について「青⑤」と書いてあるのは特に苦手な青マーカー部分を5回、「左ゆ③」とは左手のみゆっくり3回、「ゆ③」は両手でゆっくり3回。同様に他の部分も。全体の通し弾きは1回だけ所定のテンポ(四分音符=130)で最後に弾くように書いているが、この日は弾いてみて納得できずテンポを落としペダルなしで通しを3回弾いた。こんな風に、書いている通りに弾いて納得いかなければ回数を増やしたり、やり方を変えたりすることもある。

WTC2-12というのが平均律。Pが前奏曲でFがフーガ。こちらも苦手なマークした部分や緑の部分を部分練習してから片手ずつ弾き、最後に両手で通しでゆっくり3回弾く。

部分練習は回数を決めて弾いているのだが、途中で何回目か忘れたりするので、ピアノの上の楽譜箱の横に子供が使う「数え棒」をつけている。弾く毎に手を伸ばして玉を動かす。10回までパチパチとカウントできるので便利。

この練習メニューは進捗に応じて変わっていくけど、部分練習が多いのは変わらない。譜読みが完全に終わって所定の速度で弾けるようになったら、通し練習が増え録音して反省して、と内容は大幅に変わるけれど。。。まぁ現状は地味練多いですね。まだもう少し時間がかかります。