風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ブラームスOp.118-3バラードを録音しました

なかなか録音に至らなかったブラームスのOp.118-3を取り敢えず録音しました。↓

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残念なことに跳躍しまくる和音をミスタッチゼロで弾くことはできなかった。。自分の技術的な至らなさに恥じ入るばかり。。。僕にとっては想像以上に難しい曲でした。前の記事で書いた通りで、楽譜を見ながら弾くとミスタッチが増えることから、最終的にト短調と変ホ長調のパートは暗譜して鍵盤を見て弾いた(中間部のロ長調の部分は譜面を見た)のだが、それでもミスを撲滅できず、この速度で和音の形に合わせて指のポジションを瞬間的に正しく動かすことができていないものと思う。速度的には目標の四分音符=130(参考にしていたグリゴリー・ソコロフと同じ速度)で弾いたが、これより遅くすると自分的には表現に問題があると感じたので、これより遅く弾く選択肢はなかった。

前後半のト短調の激しい部分ではブラームスのクララとの関係への絶望感や激しい想い、苦しさを、中間部のロ長調の部分では速度を落とさず、昔の暖かい思い出とともにそれが二度と戻ってこない空虚感や思うようにならなかった苛立ちを(甘さ控えめで)表現しようと頑張ったつもりだが、なかなか思うようにはならなかったです。

人前で弾くとか発表会で弾くとかだったら、ここからさらに2~3か月練習を積んで丁寧に仕上げていけばそこそこまで追い込めるかもしれないが、僕の場合はそこを目指していないので取り敢えずこれで終了としたいと思います。

ショックな出来事

先日、入院中の義父のことを書いたところだが、急に不整脈を起こして容態が急変した。ボルネオ行きを3日先に控えた家内はめちゃくちゃ悩んだ末に最終的にキャンセル。直前キャンセルなのでキャンセル料だけで数十万円が一瞬で溶けてしまった。その後、義父は持ち直してボルネオに出発する日には容態は安定したのだが、家内の落ち込みようは見ていられないようなレベル。横にいる僕も胸が苦しくなった。「気持ちに共感する」とはこういうことなのだな、と久しぶりに実感した。

「たかが旅行のキャンセルじゃん」と思われるかもしれないが、家内はこのボルネオ遠征に向けて何か月も鳥の図鑑を何種類も読み込むだけではなく、自分で図鑑のKindle画像から切り出した絵を編集して、訪問する地域に頻出する鳥の「今回の遠征用の図鑑」を作り、毎日、鳥の特徴を暗記しようとしていた。YouTubeで海外のバードウォッチャーの遠征記録を何度も眺め、その土地の鳥の出現状況や行動パターンも勉強し続けていた。家内に言わせると今の気分は「甲子園を目指して猛練習を頑張っていた高校球児が外部要因でいきなり甲子園出場が叶わなくなったような気持ち」とのこと。

僕もコアなバードウォッチングをずっと一緒にやってきたのでその気持はわかる。気の毒で気の毒で本当に胸が痛かった。あまりにしょんぼりしているので、来年、改めて今度は僕が全額お金を出してボルネオに夫婦で遠征することを約束した。しかしながら義父の容態が安定したのは良かったが、こんどの11月のアフリカ遠征前や来年のボルネオ遠征前に義父がどんな状態になっているのか今から気になる。

さて、これで僕だけではなく家内も当分、バードウォッチングの予定がなくなってしまった。僕にはまだピアノ(音楽)というサブ趣味があるが、家内は今はこれといって他の趣味が無い状況なので本当に気の毒だ。何か夫婦で散歩に出かけるとか気晴らしを考えないと、と思っている。

オオミドリヒロハシ。ボルネオで最難関の鳥のひとつだが美しい。個人的には世界一美しいと言われているケツァールより綺麗と思っている。来年夫婦で見れたら最高なのだが!




ブラームスOp.118-2の解釈について(追記)

先日、プロのピアニストがブラームスOp.118-2を弾いてそれについてディスカッションをするという企画があり行ってきた。楽譜を見ながらその演奏を聴いているうちに、思いついたことを前回の記事の追記として書いておきたい。

1)調性の推移
この曲を改めて生で聴いてみて「なんとも素直な曲だなぁ」と思った。曲の調の推移をみると:

イ長調(主調)→ホ長調(属調)→イ短調(主調の同主調)→嬰ヘ短調(主調の平行短調)→嬰ヘ長調(嬰ヘ短調の同主調)→・・・

という感じでとても素直な常識的な転調をしている。作りもシンプルな三部形式。内声は複雑だけれど、素直に感じるのももっともかもしれない。これを転じて「ブラームスがこの曲に込めたのはクララへの素直な想いなのかもしれない」と改めて思った次第。

2)クララ音型の変形
前回の記事でも書いた通り、この曲には「クララ音型(クララ・コード)」が埋め込まれているのだが、今回、改めて聴いているうちに曲の中にクララ音型の「反行形」が埋め込まれていること、そしてクララ音型がカノンのような形で使われていることにも気づいた(以下譜例)。音型の「反行形」、そしてカノン構造を使うというあたり、とてもバッハっぽい。

バッハがフーガの主題を変形したのは、主題の単調な繰り返しを避け、変形・展開させる(拡大・縮小・反行形など)ことで、楽曲に新しい表情や豊かなコントラストを与えると同時に曲全体の統一感(まとまり)を与えようとしたと言われている。ブラームスがクララ音型をこういう形で変形したりカノンのような形で繰り返し提示することで、改めて上の1)で書いたようなクララへの素直な想いを「曲が単調にならないように工夫しながら」ひたすら綴ったのではないか、と思った。

とまぁ、楽譜を見ながら生演奏を聴いて感じたことを追記しました。
こんな『分析ごっこ』をしていてもピアノはちっとも上手くならないのだが(苦笑)、これは僕流の音楽の楽しみ方なので、まぁいいだろう。
音楽の楽しみは楽器を上手に演奏する以外にもいろいろあるのだから。

施設に入るということ

一人暮らしをしていた90歳超の義父が体調を崩して入院していたのだが、主治医からこれ以上の一人暮らしは無理と宣告され、施設に入る方向で検討が始まった。義母は数年前に認知症を発症してすでに施設暮らし。義父はずっと施設に入ることを断固拒否して一人暮らしを続けていたのだが、とうとう本人も覚悟を決めたようだ。

これまでは家内と家内の妹が定期的に実家に通って介護をしていたのだが、なにせどの手段を使っても行くだけで6~7時間かかる辺鄙なところなので、通いの介護も限界だった。義父はとても頑固な人でヘルパーさんや訪問看護師が家に入るのも嫌がり、主治医が禁止している酒も止めず、家内も義妹もほとほと困りきっていた。

こういう様子を見ていると他人事とは思えない。僕だって将来、こういうシチュエーションに追い込まれるかも。義父にとってはきっと「施設に入る」というのは「強制収容所に入れられる」あるいは「刑務所に入れられる」ような気分なんだろうな、と思う。個室は与えられても食事は時間が決まっていて好きなものばかり出るわけではない。最大の楽しみだった酒は飲めない。持ち込める楽しみは限られている。。。
その辛さは想像するにあまりある。。。。

ただ一つ、自分の世話で家族に迷惑をかけずに済む、ということだけが施設に入るときの心の支えだろうなぁ。施設に入っても室内でできる趣味をもうひとつ、何か始めてみるか。

ピアノ練習を2時間以内に制限することにしました。

どうも最近体調が悪い。頭がぼんやりして目も疲れていて何もやる気がおきない。最初はサッカー中継やMLB中継を見すぎているからか?とも思ったが、肩・首の凝りもあるので、ははぁ、これは多分ピアノ練習だな、と気づいた。

ブラームスのOp.118-3バラードが停滞している。
6月末までに仕上げて録音するつもりだったのに、6月中旬からなかなか改善が見られない。改善が見られないが故に練習方法を考えてトライアル&エラーしているとあっと言う間に時間が経ってしまい、気がつくと3時間とか弾いていたこともあったと思う。もう若くないのにどう考えてもこれはやりすぎだ。

この曲の問題は2つあって、ひとつめは素早い跳躍だらけであること。ふたつめは跳躍はないが10小節4拍目からEs-durに転調する部分。速い跳躍はg-mollの部分だが僕が弾きたい四分音符=130で弾くことにすると速すぎて楽譜を目で追えずミスタッチが増えてしまう。では暗譜して鍵盤のみ見て弾けるか、というとまだ心もとない感じ。なんだかどっちつかずなのだ。ふたつめのE-durの部分はトップノートだけが響くように弾くわけだけど、和音の他の音もできる限りちゃんと弾こうとすると、構成音が微妙に変わってゆくのでなかなか難しい。これもスピードが速いがゆえの問題。(譜面はこちら↓。青&緑の部分)

加えて、この曲が仕上がっていないにもかかわらず、次の曲の譜読みを始めてしまった。前にも書いたが僕は新しい曲の譜読みをするのが曲を仕上げるより好きなので、こちらもやりだすと面白くて興が乗ってしまう。譜読みをしていると、曲の響きとかメロディの美しさ以上に和声が気になり、使われている和音や転調にいちいち感動したりしているので、あっという間に時間が経ってしまう。それに弾きにくい部分があるとつい部分練習してしまうし。。。

しかし、体調が悪いとQOLが下がるので、考えた末にピアノの練習は2時間以内に制限することにしました。QOLを上げるための趣味でQOLが下がるのは本末転倒だ。タイマーをピアノの横に置いて何があっても2時間で練習はやめて体調の変化を見たいと思う。発表会があるわけでも人前で弾くわけでもないので、急いで仕上げる必要性もない。しばらくこの形でやってみようと思います。

この夏のバードウォッチングは休業

今週の月曜日、小型船で海鳥観察に行く予定だったのだが海況が悪く中止。予備日にしていた翌火曜日もギリギリになってやはり波風強く船は出せないということで、現地に行くまでもなく中止と決定した。僕の夏のバードウォッチング遠征の予定はこれで終了。毎夏、小笠原航路に乗り船上での海鳥観察を楽しんでいたが、今年は予定を入れなかったのだ。

もう渡りの時期は終わり夏鳥たちは山で繁殖に入っている。今年の夏は熊が僕の住んでいる地方でも確認されており、山や森には家内が怖がって行くことができない。ということで山も海もアウト。残念ながら秋の渡りが始まるまではバードウォッチングは休業だ。

もっとも家内は1週間後にボルネオに出発する。僕は今回はそれにも行かないのでひとりで家で留守番。11月に予定しているアフリカ遠征に向けて鳥名を暗記したりするにはまだ少し早い。来年春にフィリピンのネグロス・ボホール島への遠征を計画しているのでその打ち合わせを現地ガイドさんと進めることにしようか。

僕のメインの趣味はバードウォッチングだったけど、この状況なので当分の間、ピアノがメイン趣味になりそうな気配です。

 

平均律第2巻12番の前奏曲とフーガを録音しました

バッハの平均律クラヴィーア曲集の第2巻12番ヘ短調の前奏曲とフーガを録音しました。  ↓

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前奏曲
この曲は「受難曲」と思っているのだが、弾いていて違和感があったのは繰り返し。前半・後半に繰り返し記号があるのだが、前半はいいとして後半を繰り返すのに違和感があった。曲想もそうだし最後69小節目に強烈な減七の和音があって悲痛な声とともに終わるようになっている。これをもう一度繰り返す意味が分からず、後半は繰り返しを弾くのをやめようと思っていた。

先日、あるプロのピアニストの方とお話する機会があったのだが、そこでこの疑問をぶつけてみたところ、(わざわざ楽譜を出して試弾までして下さって)、「一回目と二回目で違う物語として弾いてみるのもありでは?」とのご意見。なるほど、そういう考え方もあるな、と思って考えてみた。一回目は信徒たちが受難の嘆きを歌うのだが最後は哀しみに打ちひしがれ弱々しく嘆いて終わり、繰り返した後のニ回目は最初、少しだけ(復活の)希望にすがるように天を仰ぐが、すぐに「嘆きのモティーフ(以下楽譜の緑の音符)」が厳しく流れ、想いを打ち砕くように音楽が進み、最後は大きな嘆きと哀しみ(減七の和音)とともに終わる、という解釈でこの録音は弾いてみたがどうだろうか?まぁ僕の勝手な思い入れだけですが😅。

あとマニアックなこだわりですが、以下譜面の38小節の赤色の音符、音源を聴くと結構なピアニストが前のファの音のタイという解釈でこの音を弾いていない。だが、よく見るとこの音はソプラノでは確かにタイだが、アルト声部の音はタイではないので、弾かなくてはならないと考え僕は弾いた。リヒテルも弾いていないのでドキドキだが。。。😅

フーガ
フーガの構造より、とにかく本能に反した指使いと指替えに苦しめられた。普通に弾くとこうだろう、という指使いで弾くと指が足らなくなるという「バッハあるある」😅。この曲は高速で「テクニック見せびらかし曲」として弾かれることがあるのだが、僕はそれがすごく嫌で、曲想の動きとモチーフをできる限り表現しようと心がけた。八分音符を全てスタカートで弾くと単調でうるさくなる、と思ったので第三間奏では八分音符は極力レガートで弾いた。特に第ニ間奏の青線で囲ったフレーズ(以下譜例)などはちゃんとアルトが音型に聴こえるように弾きたいと思って頑張った(ネット音源でもソプラノとアルトがごちゃまぜに聴こえる演奏が多い)。とまぁ偉そうに言ったがキズも多いし大したことない演奏で終わりました🙇。フーガ主題の音符は赤色で、強弱記号は全部自分で考えたものです。

さて、2回続けて平均律の曲を録音してみたが、やっぱり平均律は難しいよなぁというのが正直な感想。バッハは平均律の副題に「クラヴィーアに熟達した奏者の慰めの為に」と書いたそうだが「下手な素人ピアノ弾きの苦しみのために」と書き直そうかな。。

ところで上に書いたピアニスト氏との話の流れで、今度、大曲に取り組むことにしたので、次のサイドメニューはもう少し気楽に弾ける曲にしようと思います。
平均律はちょっとお休み。

メジロの雛たち

超久しぶりに近くの公園へ。歩いてもほとんど鳥の声がせず寂しい限り。それでも木の中で鳥影が動いていたので双眼鏡で見るとメジロの雛がいた。ちょっと「メジロ団子」風。

そのうちメジロ団子はバラけたが、残った雛は羽を震わせて餌ねだりをしていた。

 

すると親鳥がやってきて餌をあげてた。見れた鳥はほぼこれだけ。

紫陽花がたくさん咲いていた。これからは梅雨真っ盛りになるだろう。

アコースティックピアノの音

事情があって実家にある程度の頻度で行かないといけないことになった。今のところ、月に2回程度かと思うけれど、いずれ行く頻度を上げないといけないかもしれない。実家には1964年に購入したヤマハのアップライトピアノがあり、もう30年以上弾いた記憶がなく調律もしていないのだが、せっかくあるのだからと調律師にお願いして30年以上ぶりに調律してもらった。

ピアノの全景と開けたところ。2時間以上かけて調律師の方は調律して下さった。さて、すぐ帰らないといけなかったので弾いてみる時間はほとんどなかったのだが、ちょっと鳴らしてみてびっくりした。生ピアノを弾くのは確か13年ぶりかと思うけど、あまりに電子ピアノと違うのにびっくり!ただ13年前も電子ピアノを弾いていて久しぶりに弾いたスタジオの生ピアノ(スタインウェイ)にさほどの違和感を感じなかったので、今回は???だった。

スタジオのピアノ。ヤマハのC3。

あまりに違和感があったので、歩いていける近所のグランドピアノのあるスタジオに行ってみた。ヤマハのC3だったが、ダンパーペダルは踏むたびにガタンガタン音がするし、調律は狂っているし、ソフトペダルは鍵盤は横スライドするが音はほとんどくぐもらないというなかなかの代物だったが、実家のピアノと共通の感じはあって、電子ピアノとアコースティックピアノは全く違う楽器だなぁと改めて強く感じた次第。

それでも弾いているうちに感覚が思い出されてある程度は操れるようになった。特に違いを感じたのは、低い音を弱音で弾く時、打鍵速度がある程度ないと音がきちんと鳴らないということ。電子ピアノの鍵盤はスイッチなので押せば音が出るが、アコースティックピアノは打鍵速度が一定以上ないと太い低音弦を鳴らせないので当然か。あとはメカニズムの違いによる鍵の戻りの速さ。違いがわかってくると面白くて1時間があっという間だった。

せっかく実家のピアノも調律したことなので、時々弾こうと思っている。同時にこのレンタルスタジオもピアノはイマイチだが、安いし(1時間1600円)近いのでまた弾きに行くのも面白そう。ただ、僕のメインの楽器はあくまで「電子ピアノ」なので、今後も録音は電子ピアノでするつもりです。

シニア劇団の公演を見に行った

昨年、11月に見に行った友人の奥さんが入っているシニア劇団の公演があるということで再び見に行った。今回の劇場のホールは前回よりずっと立派なところで、250名は入るだろうというホール。驚いたことにほとんど満席になった。観客もシニア層ばかりだったので、劇団員の家族・友人がほとんどなのだろう。

始まる前の舞台を写した写真だが、いきなり船の舳先が。。。一瞬、バイロイトでハリー・クプファーが演出したワーグナーの「さまよえるオランダ人」を想起したが、始まってみるとこの船に乗って登場したのは劇中劇の七福神の神々だった、笑。(話は逸れますが昨年末にNHKで放送された東京二期会の「オランダ人」、すごく良かったですね!)

さて、劇のほうは非常に凝った脚本で、劇中劇もある二重構造になったお話。その中で、病気、老い、墓じまい、子供との軋轢など、高齢者ならではの悩みや辛さが散りばめられているのだが、思わず吹き出してしまうような可笑しい場面も多々あり、大変楽しい公演だった。今回、何より感心したのは出演者の声の張り。80歳台の方も数名おられるのに、大きくよく通る声で演技をされていた。当然、ボイストレーニングなどをされているのだろうが、立ち回りを含めた体力と演技力には感心した。

友人の奥さんの話だと公演前になると毎日稽古を長時間されていたようで、それぐらい皆さん、頑張ってやられたのだろう。面白かったのは、劇団員の子供役が、
「お母さんがやってることなんか子供の学芸会と同じ。
    どうして劇団がそんなに大切なの?」
と言うのに対して、劇団員の母親が
「ここが私の居場所。私の生きがいなのよ」
と言うセリフがあり、これは劇団員の本音なんだろうなーと思った。

趣味なんて言ってしまえば遊びで、もっと言えば死ぬまでの暇つぶしなわけだが、「生きがい」とは仕事にしても趣味にしても、やっている時の「充実感」とか「没入感」のことなので、それを否定してしまうと何もできないことになる。問題はその中での「重み付け」で現実の中で優先しないといけないこと(他人に迷惑をかけていないか?とか)だけは間違えないように気をつける必要はあると思うが。

一人でやる趣味以上に、劇団とかオーケストラとか集団でやる趣味はより没入感は強いだろうなと思います。きっと滅茶苦茶やりがいを感じられて楽しいだろうと。。。でも、羨ましいか?と聞かれればそうでもないなぁ、というのが僕の思うことですが。