風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ブラームス Op.118-3「バラード」について②

前回の続き。
Op.118-3のロ長調の中間部(トリオ)の部分について。
(譜面は中間部に入る手前から)

このトリオを①una corda(ソフトペダルを踏む)で②テンポを落とさず(テンポを落とす指定がない)実際に弾いてみると、美しいけれども今ひとつ暖かさ、幸福感が感じられないのだ。感じられるのは「こうだったら本当は良かったのに(実際はそうではない・そうではなかった)」という底流する苦い感情、そして焦燥感と空虚感と哀しみ。その点が他のブラームスの曲で見られる美しい長調の中間部と異なっているように感じる。激しくやり場のない苦しさ・悲しみ・辛さといった複雑な感情を表現しているような前半のハンガリー風のト短調の旋律に続いて、近親調ではないロ長調トリオが入ると本来は劇的なコントラストが感じられるのだが、una cordaを踏むことでくぐもった音になるため、手放しの天国的な美しさとは感じられない。

青で囲んだ部分では前半の短調のフレーズが嬰ニ短調で4小節だけ回帰する。焦燥感と空虚感の中に漂うかりそめの幸福感すら打ち消すように暗い旋律が奏でられるのだが、すぐにまた(dolce:甘く)という指定とともにロ長調の旋律が戻って来る。

この曲が作曲された1893年前後のブラームスとクララ・シューマンの手紙のやりとりは「友情の書簡 クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス往復書簡集(下)」(古典教養文庫)で読むことができる。ブラームスとクララはシューマンの交響曲第四番の出版を巡りクララが気分を害して二人の関係にヒビが入っていたのが1892年の手紙のやりとりで和解に至っているが、関係が完全に修復されたのかどうかはこの本に収められた書簡を読んでもわからない(そもそも一旦こじれた人間関係に『完全な和解』などあり得るのか?)。この曲集はクララに捧げられた曲集だが、各曲にブラームスのクララに対する複雑な感情が反映されているように感じられる。このOp.118-3「バラード」では「絶望的な気持ち」「やるせなさ」「悲しみ」「激情」そして「昔の良い時代の甘やかな思い出」「それが二度と帰ってこない苛立ちと哀しみ」「空虚感」が表されているように僕には思えるのだ。

曲の最後の最後、激情のフレーズでは終わらず中間部の旋律がト短調になってuna cordaで回帰する。『あの美しい時代・甘やかな時は二度と戻らないのだ』と小声で呟くように。。。
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この曲、「亡き王女のためのパヴァーヌ」が終わったので次に弾くことにしました。

ブラームス Op.118-3「バラード」について①

この楽譜、大昔にブラームスのOp.118-2を弾いたときのもの。表紙もちぎれてしまっている。当時はレッスンで見てもらって相当熱心に練習した。この曲は素晴らしい曲なのでいずれ弾き直したいと思っているが、今日は別の話。

Op.118「6つの小品」はブラームス最晩年の小品集だが、内容的に非常に深いと思う。中でも第6曲(Op.118-6)は別格に難しい(技術的にも内容面も)と感じていて今でも到底手が出せないな、と思っている。第5曲(Op.118-5)は「ロマンス」と名前がついており、美しい旋律が魅力的で難易度的にも取り組みやすそうと思っていた(が、まだ弾いたことはない)。

最近、強く惹かれているのは第3曲「バラード」(Op.118-3)。ブラームスのバラードといえばOp.10が有名だし僕自身も大好き(特にOp.10-1「エドワード」は譜読みをしたことがあり、いずれ必ず弾きたい)だが、Op.118-3は先日、オールブラームスのリサイタルで聴いたことがきっかけに譜面を眺めるようになり、その中で自分的な「謎」が出てきて余計に惹かれる。この曲集がクララ・シューマンに献呈されていること、作曲直前にはクララと絶縁に近い危機を迎えていたことなど、謎とのつながりを感じずにはいられない。ピティナのピアノ曲事典に書いてあるこの項目がまさに僕の謎のど真ん中を射抜いている。

第3番「バラード」ト短調:前曲とは異なり力強い和音による情熱的な曲。中間部では一見つながりの薄いロ長調に移るが、ここで年老いたブラームスが表現したかったものは何だろうか。

このロ長調のトリオ(中間部)ではuna corda(ソフトペダルを踏む)と書かれている。なぜここでuna corda?というのが僕にとっての謎だ。ト短調のハンガリー風の激しい和音の部分との対比でここはppとなっているのだが、ソフトペダルなしで弾いても問題なく成立する。ブラームスのこの曲集や他の曲を見ても中間部の柔らかい表現にuna cordaの指定は見当たらず、逆に「dolce(甘く)」や「espressivo(感情を込めて)」という表記が見られる(この曲ではそれもない)。そしてこのトリオの美しい旋律は最後の最後に短調に変化してごく短い間、静かに回帰する(この時もここはuna cordaが指定されている)。

長くなるので今回はここまで。次回に続きを書きます。
取り敢えずマレイ・ペライアのOp.118-3の演奏(7:01~)を。中間部は8:05からです。(この動画でOp.118全曲演奏しています)。

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                  (続く)

乱入!磯ひよこ

先日書いた庭に来たジョウビタキ雌の「ビビ子」はビクビクしながらも餌を食べに来ていたのだが、3月中旬になってイソヒヨドリ雌が乱入してきた。イソヒヨドリは海岸の岩場などで生活している鳥だが、最近は都市エリアに進出してきている。

イソヒヨドリの雄はこんな綺麗な鳥 ↑ 。これからの季節、3月末頃から夏場にかけてビルの屋上や電柱など高い場所にとまって美しい声でさえずる。

そしてこちらが乱入してきたイソヒヨドリ雌。餌を食べていたビビ子を威嚇して追い払い餌をひとり占めして食べていた。臆病者のビビ子は遠くに飛び去ってそれっきり姿を見せなくなった。イソヒヨドリの大きさは体長23cmほどでジョウビタキの14cmと比べると遥かに大きい。人間に例えるとハイキングに来ておにぎりを食べていたら熊が現れて隣で威嚇したようなもの。愛着のあるビビ子を飛ばしたので腹立たしいがイソヒヨドリもこれから繁殖のために栄養をつけないといけないので仕方ないとも思う。

ビビ子はその後、全く姿を見せなくなった。時期も時期なので繁殖地に向かったのかもしれない。イソヒヨドリ雌はその後も定期的にやってきて餌を食べている。仕方ないのでこの子に「磯ひよこ」と名前をつけてビビ子用の餌がなくなるまで給餌してやることにした。春になれば虫が沢山出てきて餌に困らなくなるのでそれまでのお付き合いだ。

ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」を録音しました。

一昨年弾いていてこの1月から弾き直し始めたラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を録音しました。

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ほぼ5分半で弾いたが世間のピアニストの皆さんはもっとゆっくり目に弾いているようだ(6分台とか、7分台とか。。。)。僕はこれ以上遅く弾くのは自分の感性に合わなかった。ちなみにラヴェル本人のピアノロールは5分12秒。愛弟子のペルルミュテールが5分28秒。ラヴェル本人はゆっくり目の演奏に対して「亡き王女のためのパヴァーヌであって、王女のための死んだパヴァーヌじゃない」と言ったとか。

しかしこの曲、難しかった。特に左手の幅広い分散和音を非常に小さな音(pp)でタッチを揃えて弾くのが難しくて苦労した。この赤いマーカーの部分など。↓

問題は僕の技術力不足、強弱と音色のパレットの貧しさだ。僕のテクニックでは音の強弱は「強」「中」「弱」ぐらいしかなくて(←昔の扇風機か?😅)、音色のパレットは小学生の絵の具箱よりずっと少ない。ところがラヴェルやドビュッシーといったフランスの作曲家はデリケートな強弱と多彩な音色を要求してくる。これは全く僕向きではないですわ、本当に。。。(そういえば昔、所属していたピアノサークルで『間違ってもフランスものは弾かないで』と言われていたなぁ。。とほほ。)たまに「この強さ、この音色」と気に入った音で弾けても再現性がないので次の音はもう駄目。再現性の低さも技術力不足ということでしょうね。コントロールの悪い野球のピッチャーと同じだなぁ。。
などとブツクサ言いつつも、今の自分の精一杯なので一旦終了としたいと思います。

思えば遠くに来たもんだ。

知り合いから「ノドグロモズガラスが出ている」と情報を頂いた。ノドグロモズガラスとはモズでもカラスでもないオーストラリアの固有種の鳥。僕もうちの家内も(別々に)オーストラリアにはバードウォッチング遠征に行ったことがあるのだが、この鳥を見たかどうかはっきり記憶していない。出ている公園はそれほど遠くないので行ってみるか、と腰を上げた。

こんな感じの鳥だ。なんかうーん、見たことがあるような。。すでに餌をもらって食べていてとても人馴れしている。カササギフエガラスとかツチスドリなんかも白黒の中型の鳥で似ており、記憶が曖昧で自分がこの鳥を見たことがあるかはっきりしない。

ノドグロモズガラス(オーストラリア・クイーンズランド州にて)

帰宅してオーストラリアで撮った鳥の写真をチェックしたらちゃんと見てました  ↑ 。ところでこの鳥はオーストラリアの留鳥で渡りをしない鳥だ。eBirdというサイトでは世界中の鳥の観察記録がマップにプロットされているのだが、この鳥はオーストラリア国内でしか見られていない。翼の形からしても長距離を渡れるとは到底考えられない。ではどうやって日本に来たのか。可能性は2つ。

1)飼育個体が逃げ出した(いわゆる篭脱け)
しかし日本国内の動物園の飼育個体情報を調べたがノドグロモズガラスが飼育されているという情報はなかった。そうするとペットとして飼われていた可能性だが、オーストラリアは自国の固有種の持ち出しに対して非常に厳しい制限を設けており、学術研究や公的な動物園同士の交換などを除き、商用の輸出は原則として認められていない。あとは闇での野生動物売買で好事家がこっそり飼っていた個体の逃亡が考えられる(足環がついていないからその可能性は捨てきれない)。この鳥は鳴き声が美しいのでペットとして飼われていた可能性はゼロではないだろう。

2)船に乗ってやってきた
個人的にはこちらの可能性が結構ありそうと思っている。海鳥観察のためにフェリーによく乗るのだが、鳥が乗っていることはある。昨年乗った名古屋から苫小牧までのフェリーには観察している僕達の足元にずっとドバトがいて餌をねだっていた。昨年、大阪南港にミドリカラスモドキという東南アジアにはどこにでもいる鳥がやってきたのだが、この鳥も東南アジアの港や海岸沿いでよく見かけるので(船に乗っているのを見た友人もいる)、恐らく貨物船あたりに乗って来たのだろうと思っている。船員も鳥を見かけたらパンぐらいあげたりするのではないか。

この鳥、理由はともかく遠い遠い日本まで来てしまったわけだ。つがう個体がいないからこのままだと一代限りで終わりになるだろう。なんだか不憫だしオーストラリアに帰してあげる方法はないものだろうか。

「お里が知れる」前奏曲

「お里が知れる」という言葉はすでに死語とも言われているが、「差別用語」と言う人もいるので、使う場合は慎重になる必要がある。ここで僕が使う「お里が知れる」の意味は「その人の趣味嗜好が透けて見える(うかがい知れる)」という意味で決してネガティブな意味ではないのでくれぐれも誤解のないように。

練習を始めた平均律クラヴィーア曲集の第1巻13番の前奏曲は、演奏でその人の「お里が知れる」恐ろしい前奏曲だと思う。取り敢えず譜面を出しておくとこんな曲である。

見ての通り、非常にシンプルな曲。嬰ヘ長調(Fis-Dur)という#だらけでちょっと弾きにくい調ではあるが音の数も少なく速度もゆっくりなので難しい曲ではない。しかしながら弾いてみると、調性が細かく変化することもあり、しみじみと「この曲の演奏からは「演奏者の『お里が知れる』だろうなぁ」と思えて仕方ない。

譜面は原典版なので強弱記号もペダル記号も何もついていない(赤い字は僕の書き込み)。自分で考えて弾くことになるが、特に強弱については(弾けばわかるが)「自然に抑揚がつくように曲が出来ている」と思える。なのでどの程度の抑揚にするか(したいか)はその人の『音楽的な趣味』に依存することになる。ペダリングも同じだろう。あとトリルもそうだ。あちこちにあるトリルやプラルトリラーをどのようにどの程度の長さで弾くのか。そして7小節目冒頭のちょっと変わった記号のトリルはバッハの時代の常識としては以下のように弾くべき(主音Cの場合)、とされているがこれを本当にそのように弾くのか、等々。。

僕もいずれこの曲を録音するつもりだが、その際には僕の「お里」を公開することになりますね。いやいや、恐ろしい曲だと思います。。

ビビ子登場

以前のポストで「この冬は庭にジョウビタキが来ない」と書いたが、2月19日にジョウビタキ雌がやってきた。そのまま居着いている。

ジョウビタキは毎年11月ごろにやってきて3月末ごろに渡去する(多くは中国東北部やモンゴル、サハリンなどに渡るが一部、日本の山地で繁殖するものもいる)。過去、2月ごろに庭のジョウビタキに「入れ替わり」が起こったことがある。渡去前に局所的な移動が始まり、気の早いジョウビタキは渡去を始め、空きになった縄張りに別のジョウビタキがやってきたのではないか、と推測している。うちの庭はこの冬は「空き家」だったので移動した子がたまたまやって来たのだろう。

餌をあげて観察するとこれまでの子とは著しく性格が違う。ジョウビタキはいとも簡単に餌付く野鳥で、すぐに警戒心を失って餌をねだったり、餌が入るとすぐ食べに来たりするのだが、この子はとても警戒心が強い。餌を入れに出るとわざわざ遠くに飛び去ったり木の陰に隠れたりして、しばらくしてから恐る恐る餌を食べに来る。いつもビビりまくっているように見えるので「ビビ子」と名前をつけた。

詳細に見るとビビ子には特徴がある。クチバシ基部の上側が白っぽく、喉元から頭部にかけてもやや白っぽい。個体識別できる特徴なのでもしも来年再訪してくれたら同定できるだろう。行動パターンも「個性」があるので恐らく識別可能だ。ジョウビタキの脳の重さは2g以下。こんな小さな脳なのに「個性」や「性格」がある。本当に不思議というしかない。

再び平均律を弾こうかと。(第1巻13番)

スカルラッティのソナタを録音したので、次に弾くポリフォニーの曲(メインで練習する曲以外にポリフォニーの曲を1曲は並行して練習することにしている)をどうしようと考えて、やはりバッハの平均律クラヴィーア曲集から選ぶことにした。去年、平均律第2巻の22番の前奏曲を弾いたのだがこの曲はフーガが難しすぎたため前奏曲のみしか弾けなかった。こんどは前奏曲とフーガをセットで弾きたい、それも過去やった曲でなくイチから譜読みして、と検討した結果、第1巻13番の前奏曲とフーガ(BWV858)に取り組むことにした。この曲は平均律の中では易しいほうに入ると思う。前奏曲もフーガも短いし、3声のフーガは構造が非常にシンプルに見える(譜例はブゾーニ校訂のブライトコップ版のフーガ冒頭)。

ただこのフーガ、主題に組み込まれたトリルをどう扱うかで難易度が大幅に変わってくる。過去に聴いた演奏の中には「易しいトリル」にしていたり「トリルを省略」したりしているものがままある。平均律を「学習曲」と捉えた場合、トリルの難しさに引っ張られて、片手で2声部を弾くことやフーガの構造をわかるように弾くこと、そして指の独立を強化することができなければ本末転倒だからそうしているのだろう。ただ、この曲を「演奏曲」と考えると「このトリルはこう弾きたい(あるいはこう弾くべきだ)」という思いがある人間(僕です)は頭を抱えることになる。ブゾーニが校訂したこの曲の楽譜にはこのような注記がある。

邦訳:トリルが主題の構成要素である場合、その反復にあたりいかなる変形も許されません。それは主題そのものの改変となるからです。したがって、最も複雑な(他の音との)組み合わせにおいても一番忠実に維持できるトリルの形が選択されるべきでしょう。おそらく、この種のトリルで最も変形可能な例は、ベートーヴェンのピアノソナタ作品106の終結部のフーガに見られるでしょう。

つまりこのフーガ主題に組み込まれたトリルはどの声部でどのように出てきても同じように弾かれなればならない(変形は許されない)と言っており、ブゾーニはトリルのアイデアとして譜例の中で赤で囲った1)のような音型を上げている。しかしながら困ったことに僕はこうは弾きたくないのだ!僕が弾きたいトリル音型はこちら。

この主題に組み込まれたトリルに保続音がある箇所もある。問題なく弾ける場合もあるが、以下の2ヶ所は正直なかなか弾きにくい。(赤い音符が保続音)

さらに面倒なのはバッハはトリルを指定していないが、理論的にどう考えてもトリル入れないといかんでしょ!と思える場所が第12小節の3拍目。ここは弾くのが難しい故にバッハはトリルを入れる指定をしなかったと思われるが、ムジカノーヴァ叢書の「バッハ平均律の研究1」では故・矢代秋雄先生は「トリルをつけようと思えばつけられる」としており、ブゾーニも(トリルの形は違うが)「理論的に正しい演奏」としてトリルを入れた譜例を欄外に上げている。ここに僕の弾きたいトリルの形を当てはめるとこうなる(故・矢代秋雄先生もこれと同じ譜例を上げている)。

赤が譜面の音符。黒がトリル。

と長々とウダウダ書いたが、要は僕の弾きたいトリル音型があり、それで弾くとこの曲の難易度が爆上がりする、ということだ(あ、1行で要約できた😅)。

まぁともかく、弾けるかどうかチャレンジしてみたいと思います、笑。
なお、前奏曲はシンプルだがめちゃくちゃ美しい曲なのでこちらも楽しみです。
こちらはリヒテルのこの曲(前奏曲とフーガ)の演奏。僕が弾きたい解釈とは少し違うけれど、フーガのトリルは僕が弾きたい音型になっています。流石はリヒテル、完璧に弾いています。

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ネパール遠征の写真③:カラフルな鳥たち

1月末のネパール遠征の鳥たちの写真を上げます。

コセイインコ。雄は鮮やかなピンク色の頭をしている

セキショクヤケイ。ニワトリの原種だがニワトリよりずっとカラフル。ガイドさんが「chicken!」と呼んでいたのには笑った。

ヒマラヤハゲワシ。翼開長3mに達する世界最大の猛禽類のひとつ。巨大だった。

カワビタキ。とにかく可愛い鳥。尾羽のオレンジ色がお洒落。

ノドグロヒタキ。一瞬の登場だったがなかなかシックな色合いだった。

クリムネアカマシコ。水場で見たがこの独特の赤色は強烈な印象だった。

ミヤマハッカンの雄と雌。今回の遠征では高地のキジ類を狙ったのだが、今年は暖冬でキジ類が高い山にとどまっていたようでこのミヤマハッカンをフロントガラス越しに見たのが唯一の成果。高山のキジ類を見るにはネパールよりも中国・成都の西の山地のほうが良いらしい。そこまで足を伸ばすかどうか検討中。

スカルラッティのソナタK.531(L.430)を録音しました。

スカルラッティのソナタK.531(L.430)を録音しました。

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以前書いたがこのCurci社の楽譜は古い楽譜で底本はロンゴ校訂のRicordi社の楽譜と思われる。強弱記号やペダリングは20世紀初頭のグランドマナー的解釈で書かれており、まぁまぁそれに基づいて弾いたので、ピアノの先生が聴いたら「様式感がなってない!」と全面的に直されること間違いなしである。まぁでも思い切りダンパーペダルを踏んで弾くバロック音楽もなかなか爽快で楽しいものだ。

繰り返しは忠実に守ったが繰り返し後の2回目は一応考えた上で装飾音を入れた(装飾音を入れたことで一部トチっているのはご勘弁😅)。楽譜に速度指定として付点四分音符=132-138と書かれていたがそんな速度で弾けるわけもなく125ぐらいに落として弾いているがそれでも僕にとっては速度はギリギリだった。指が動かなくなっているな、ピアノをこの15年サボっていたツケは来ているなと思った次第。動画の楽譜はCurci社の譜面の著作権が怪しかったので著作権フリーの楽譜に青色で指定の記号他を書き込んでいる(ペダリングは自由に踏んだので記載してません)。

さて、この楽譜も無事「成仏」させたので、再びバッハに戻ってチマチマ弾きたいと思います。