風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

アンティ・シーララのベートーヴェン

小笠原航路弾丸遠征はとてもハードだったが、とんでもないレアな海鳥が出現して我々のみならず海鳥界隈は大騒ぎになった。この話は別記事に書くが今日は帰ってきた翌日に行ったアンティ・シーララのピアノ・リサイタルについて書く。

アンティ・シーララというフィンランドのピアニストについては予備知識なく、曲目だけでチケットを買った。心身ともに疲れ切っていたので演奏がつまらなかったら寝てしまうかも、と危惧しつつザ・フェニックスホールへ。曲目はベートーヴェンの後期3大ソナタ30番、31番、32番というもの。フェニックスホールは小さいけれども雰囲気のあるホール。1階席の良い席はなかったので2階のピアニストの手が見える後ろ側の席だった。

30番の第1楽章が始まってすぐにこの人の鳴らす音に魅了された。深くて美しい響き。プロの声楽家が「音楽のアマチュアとプロの違いは出す音の違いだ。そこだけは根本的に違う」と言っていたのを思い出す。特に低音部の和音の響きの大きく深くて美しいこと!!。30番第1楽章はひたすらチャーミングに可愛らしく(?)弾かれることも多いが、シーララの紡ぎ出す音楽にはそれだけではない深さと激しさ、重さが感じられてあっという間に引き込まれてしまった。第2楽章になると激しさとダイナミックさがさらに増し、ベートーヴェンの焦燥感、焦り、怒りのようなものが直に伝わってくる。この強靭な打鍵、誰かに似ていると思って記憶を探ると、グリゴリー・ソコロフだ、と思い当たった。残念ながらソコロフを生で聴いたことがないが音源で聴くだけでもその打鍵の強靭さは伝わってくる。癒やしのテーマで始まる第3楽章の変奏曲での繊細さ、対位法が際立つ第5変奏の揺るぎない表現、そして最終第6変奏の美しいトリルの響きとダイナミクス!。
こんな調子で書き始めるときりが無いのでやめるが、この生演奏の感じがどこまで伝わるかわからないがYoutubeにあった30番第1楽章を以下に貼り付けておく。

youtu.be

続けて演奏された僕の大好きな31番も素晴らしい演奏だった。そして32番第1楽章のデモーニッシュな表現と第2楽章の天国的な表現もすごかった(技術的にめちゃくちゃ難しい第2楽章終盤のトリル地獄も余裕で弾いていた)。プログラムを読むとリーズやベートーヴェン国際で1位を取っている人だが決して有名ピアニストではない(だからチケットも安かった)。いいピアニストと出会えて本当に良かった。感動のあまりその場でCDを買って列に並んでサインしてもらいました。

いや、いささかくどいですが本当に良かったなぁ~。昔やって満足行く仕上がりにならなかった31番第3楽章をやり直してみようかという気になりました。

小笠原航路へ

明日から小笠原へ行く。
いや、行くと言っても「小笠原諸島の父島行きの船で24時間かけて1000km東京から南に行き、父島で3時間時間潰しをした後、再び船で1000kmを24時間かけて東京に戻ってくる」という意味である。東京を出発してから帰り着くまで51時間のうち48時間は船に乗っていることになる。

何のためにそんなことを?というと太平洋の海鳥を観察するためである。
吹きさらしのデッキで双眼鏡とカメラを持ってひたすら近くを通り過ぎる海鳥を見つけて観察するのだ。大きな船なのでカフェスペースもレストランもあるが、恐らく日が昇っている間はトイレ以外はデッキから離れず海を見ているだろう。海が荒れると頭から潮を被るのは普通で、大荒れになるとデッキ閉鎖で外に出られなくなることもある。

普通の人からすれば気が狂ったのか?と思われるような観察方法だが、僕もうちの奥さんも何回も航路での海鳥観察に行っている。いや、僕も最初にこういう観察方法があると聞いた時には「行く人は頭がおかしいんじゃないの?」とか「せっかく小笠原まで行くのなら滞在して遊んでくればいいのに」と半ば呆れつつ思ったのだ。しかし、今は自分たちが行っている。多分、我々の頭はおかしくなったようだ、笑。

いやしかし、海鳥観察は楽しいのである。
船は常時時速40kmで走っているので鳥を見つけてもすぐに離れていってしまう。一瞬一瞬が勝負なのだ。中には本当に滅多に見られないレアな海鳥だって飛ぶことがある。それを識別できるのかできないのか、究極の探鳥力が試される。背筋がゾクゾクするほどスリリングだ。写真も撮るけれど、それはあくまで識別のためであって鑑賞するような写真は滅多に撮れない。あくまで識別を楽しむバードウォッチングなのだ。

こういう病に取り憑かれた人は日本中に数百人程度はいるので、今回も船に乗ったら知り合いに会えるに違いない。夜はそういう人たちと話をするのも楽しみだ。

2年前、小笠原航路で会ったアカアシカツオドリ



呉に行ってきた

広島県の呉に行ってきた。
以前から大和ミュージアムに行ってみたいと思っていたのだが、家内がミュージアムは来年リニューアルで休館だから思い切って行ったら?と背中を押してくれたので出かけた。

駅から5分大和ミュージアムに入って戦艦大和の1/10の模型を見る。正直に言うと「すごく良く出来てるけれど模型だよなー」というのが率直な感想。この模型から本物の巨大さを想像するのは無理、と思った。そんな感想は僕だけかもしれないが。
ハワイの真珠湾で日本が連合国に対する降伏文書に調印した戦艦ミズーリに乗艦したことがある。ミズーリは大和とほぼ同じ大きさの戦艦だがさすがにその巨大さにはびっくりした。実物はやっぱり迫力が違う。ミュージアムで印象に残ったのはむしろ特殊潜航艇「海竜」や特攻兵器「回天」の禍々しさだった。

大和の1/10スケールの模型

特殊潜航艇「海竜」。最終的には特攻兵器と考えられたそうだ。

港内を回る「呉艦船めぐり」という30分強のクルーズに乗ってみた。80人ほどの客とオープンデッキの小型船で出発。造船関連部門で仕事をしていた時の取引先が建造しているデンマーク船籍のコンテナ12800個を積める船のそばを通り過ぎる。20000個積みの巨大コンテナ船に比べると小さいがそれでも戦艦大和よりは大きい。

12800個積みのコンテナ船(建造中)

船は回頭して自衛隊の埠頭のほうへ。沢山の護衛艦、潜水艦が停泊していた。自衛隊の艦艇は兵器だけあって顔つきが精悍で迫力が違う。短SAMやCIWSなど見るからに恐ろしげだ。空母化改修中の護衛艦「かが」が停泊していた。政府は「空母ではない」と説明しているが他国からみたらどこから見ても空母だ。これで日本は空母4隻を運用する国になるわけだが、空母の運用コストはとんでもないもので複数空母を運用している国はアメリカ、中国、イギリスぐらいだろう。日本は国力は落ちているのに軍事費は増大させざるを得ない苦しい状況にある。

空母化改修中の護衛艦「かが」

最後に海上自衛隊のPR施設「てつのくじら館」へ。ここでは退役した潜水艦「あきしお」の中に入れる。狭い艦内、生活のための寝床、シャワー室、トイレなど。食事は1日4食ということで食事の見本が置いてあったがずいぶん高カロリーな気がした。

ものすごく暑くて大変だったけど、これで一つ気が済んだ。
土日が過ぎたら月曜夜から東京に行って小笠原諸島の父島へ往復遠征だ。
遠征の準備をしなければ。。。

ショパンの舟歌:その後

しつこくショパン舟歌をさらっている。幸いなことにいくら弾いてもちっとも飽きないので気に入った曲をやるのは良いなぁと改めて痛感。しかし最近弾くと間違うはずのない部分でつっかえたり、うまく弾けていたところが急に弾けなくなったりという症状が出てきた。こういう時は何回通し弾きを繰り返しても駄目なことはわかっているので、通し弾きはスピードを落としてゆっくりで弾くことにした。

ふと、この「ゆっくり」というのがどの程度なのか時間を測ってみようと思い立った。体感的には30%ぐらい遅く弾いてるかな?と思っていたのだが、通して測ってみると9分58秒だった。あれれ?それってあまり遅くなっていないのでは??では一体自分が普通に(何も考えず)通していたのはどの程度?と思って測ってみると9分12秒。つまり8%しか遅くなっていない。体感とは全く違っていた。ショパン舟歌、プロのピアニストがどの程度のスピードで弾いているか見てみると一番速いアルゲリッチで8分15秒だが、だいたい8分30秒から遅い人だと9分15秒くらいで弾いている。つまり僕はなんとなくプロのピアニスト並のスピードで弾いてしまっていたのだ。
なるほど、この曲なかなか満足に弾けないはずである。僕の腕前だとプロのピアニストよりかなり遅く弾かないと到底まともな演奏にはならない。もともと非常にスローな曲なら話は別だがそれなりに技術的に込み入った曲ではプロのピアニストのマネをしても崩壊するだけだ。それは下手ながら30年以上ピアノを弾いているとよくわかっている。

1992年にレッスンでショパンエチュードOp.10-5(いわゆる「黒鍵」)をやって発表会で弾いたのだけど、この時楽譜の指定は四分音符が116だったのだけれど実際に僕が弾いたのは四分音符100のスピードだった(楽譜にメモが残っていた)。当時は今よりもずっと指は動いたし技術的にもマシだったのにそうしていたのだから、今はもっと気をつけないと。。。

閑話休題。おおよそ10分のゆっくり目のスピードで舟歌を弾いているといろんなことに気づく。「このフレーズはエコーになってるから2回目は1回目より小さめの音で弾かないと」とか「ここは上声を出して他の声部は控えめに」など弾いていて気づきもあるし、何より表現に余裕が出てくる。スピードを控えめにしてもう少しやってみたいと思う。まだ自分では「飽きたし上がりかお蔵入りにしょうかな?」という気持ちにならないので。

youtu.be最近のお気に入りのツィマーマンの演奏する「舟歌

神戸に来たベニアジサシ

連日熱中症警戒アラートが出ている状況だが、神戸の海岸にベニアジサシが来ているということで早朝限定で見に行った。
ベニアジサシは南西諸島の鳥で、僕も過去、石垣島宮古島の沖で見ている。もともと外洋性の鳥で極めて警戒心が強いので岸から見れること自体珍しいのだが、この海岸ではコアジサシが繁殖していることもあってか、今年は10羽以上が来ているとのこと。確か数年前にも来ているという話があって行ったが空振りだったことがあった。ベニアジサシは真っ白な体に黒い帽子を被っていて赤いクチバシ、脚が鮮烈な印象で僕が好きなアジサシだ。

さて朝7時前に行ってみると200羽以上のコアジサシに混ざって十数羽のベニアジサシが護岸堤の上にいた。望遠鏡で見てゆくと足環をつけた個体(成鳥、幼鳥)がいる。護岸堤までは80mほどあるのでさすがに足環に刻まれた記号・数字は読めない。写真も撮ったが遠すぎて解像しない。幼鳥たちはどう見ても今年生まれでまだ親から魚をもらっていた。ということは南西諸島の鳥ベニアジサシが大阪湾岸で繁殖したということではないか???足環が読めればどこで生まれた子かわかるのだが。。。

とまぁ僕にとっては衝撃的な事実だったのでXに投稿したところ、同じ大阪のバードウォッチャーから過去に大阪湾の人工島などで繁殖した事例があると教えて頂いた。うーん、そうなんですね。では南西諸島にしかいない他のアジサシ類、例えばエリグロアジサシやクロアジサシなどはどうして大阪湾に来ないのだろう?と別の疑問が浮かび上がる。バードウォッチングの楽しみ方はいろいろなのだが、僕はこういうことを考えたり調べたりするのが好きだし面白い。

暑さが耐え難くなり9時前に撤収した。知り合いが朝9時から午後2時まであの海岸にいたと後で聞いたが、真っ昼間35℃以上の遮るもののない海岸に5時間滞在できる気力・体力・根性には感服するしかない。こないだ静岡では最高気温39℃の中、朝6時から夜6時までバードウォッチングしている真っ赤に日焼けしたお年寄りたちに会ったが同じ人間とは思えない。
もう凄すぎるの一言。。。

波打ち際で魚を捕ったベニアジサシ



亡き王女のためのパヴァーヌその後

最近、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を楽しんでいる。3月に校訂版の楽譜を買ってすぐに親指を負傷し6月に入ってからやっと譜読みを再開したのだが、数日に1度気が向いたら弾いてみる程度だったのでやっと最近になって通せるようになってきた体たらくである。しかし前も書いた通り実に和声が美しいので弾いているだけで楽しい。

昔、ピアノサークルのすごく上手な人がこの曲を演奏会で取り上げたら、回りの人たちが「どうしてこんな簡単な曲を弾くんだろう?もっと難しい曲を弾ける人なのに」などと陰口を叩いていたことを思い出す。しかしこの曲、決して「簡単」じゃないと思うのだが。なにせピアニシモ主体の曲でどのパートでもうっかり大きな無神経の音を出したらそれで一巻の終わりである。特に28~33小節と60~65小節の分散和音は難しいと思うのだが。

そういえばネットでラヴェルの高弟のペルルミュテールが校訂した版では、この分散和音の右手の一部を左手で取り右手での旋律をレガートで弾きやすくしているという話を読んだ。以下がペルルミュテール版の28-29小節。この指遣い、とても理にかなっているように思えたので僕もペルルミュテール版の指遣い(手の取り方)に変更することにしてやり直すことにした。

60小節からはさらに難しいと感じる。
この部分の(ラヴェル本人による)オーケストラ編曲の楽譜は以下のようになっており、ソプラノがフルートとヴァイオリン、アルトがハープ、バスがチェロとコントラバスという形になっており全てのパートがppだ。ピアノで弾く場合はソプラノとアルトを右手で、バスを左手で弾くわけだが、ソプラノはppとはいえラヴェルの指示「marques le chant(旋律を出して)」通り弾けばよいが、アルトとバスは微妙なバランスの上で弾き分けなくてはならない。なのでデリケートな音量と音色のコントロールが必要となる。僕の腕では到底簡単にはいかない。

とまぁ僕にとっては難しいのだけれど、これだけ響きが美しいとうまく弾けなくても楽しいのである。春秋社の「ピアノ・レパートリー事典」ではこの曲の難易度は15段階の11で中級の上程度。確かに音を拾うだけならそんな感じかもだが、真面目に音量と音色をコントロールしようとするとずっと難易度が上がるのでは?と感じた次第だ。

再び検査した結果

1月に腫瘍マーカーの値が基準値を超えたためMRI検査を受けその結果として半年ごとに腫瘍マーカーの値をウォッチすることになったと書いたが、先日採血をして一昨日その結果が出た。大変残念なことにマーカーの値は上がっていたので、主治医とどうするか相談。主治医の見立てではまだこの数値なら許容範囲でもう半年待って上昇具合を見て生検するか決めましょう、この数値なら悪性の可能性は20%程度だと思いますし極初期なので半年待っても大丈夫とのことだった。

うっすらと嫌な気分になったのは半年前と変わらない。別にショックを受けるでもなく「面倒くさいよなぁ」という気分である。前回も書いた通り、厄介事は降ってくるしそれがだんだん多くなるのは(年齢からしても)普通のことだろうと思う。でやってくる厄介事を気に病むだけではQOLが下がるだけなので、それを打ち消すような「楽しいこと」や「夢中になれること」でもってcompensateするしかない。

僕の義弟も友人数人もガンを患っていてそれでも普通に生きている(亡くなった人もいるが)。なので、普通の人に普通に降ってくる運命なので「仕方ない」ことなのだと思う。でも、今のうちにやりたいことをやっておく必要はますますあるよな、と思う。

 

これからの遠征計画

7月に入って本格的に鳥枯れに突入した。静岡から帰ってからは鳥見には出かけていない。大阪南部の池には夏羽のアカガシラサギが来ているようだが、暑いし見に行く気にならない。そもそも梅雨で天気がよろしくない。

来年は1月に家内がアフリカ遠征を考えている。彼女の長年の宿願なので是非行ってきて欲しいと思う(僕は行かない)。別に来年、できればフィリピンのパラワン島にバードウォッチングに行きたいと思っていてガイドさんとやりとりを始めたところだ。パラワン島と言えばパラワンコクジャクという非常に美しい鳥が一番人気だが、警戒心の薄い個体が見やすいところにいたのに数年前に死んでしまったということで、今は極端に見ることが難しい(というかほぼ不可能らしい)。しかしそれ以外にも美しい鳥が沢山いる島なのでぜひ行ってみたいと思っている。円安で非常に旅費がずいぶんかかるだろうが、まだ健康や社会的な問題が少ない間に行っておかないと先延ばしにはできないという思いがある。

その前に7月終わりには小笠原への弾丸往復(船上から海鳥観察)、9月には石垣島アカハラダカの渡り、10月は沖縄の離島への遠征などを入れているのでなかなか忙しくなる。8月には長男の会社の保養所に行くことも検討しているし、今はバードウォッチングはしばしの休息だ。

写真はパラワンコクジャク。上野の動物園でずっと昔に写した。網があってきれいな写真にならなかったのが残念。

 

元部下との会食

昨年退任した会社の元部下からメールがあり、一度お目にかかりたいということで今日ランチを共にしてきた。彼は別の事業部にいたのを僕が引き抜いて当時管掌していた部門に異動してもらったのだが、今もそこで頑張ってくれている。特別な用事があったわけではなく、僕が退任して1年が経ったということで顔を見たくなったとのこと。
ありがたいことだ。

昨年、退任する際にもいろいろな社員の方から個人的にメッセージや贈り物を頂いたりしたことを思い出した。僕は彼らに特別なことをした覚えはないのに覚えていてくれてたまに声を掛けてくれたりする。今日の会食でも「あの時ああいう言葉を頂いたことは~」などと言ってくれるのだが、言った僕のほうはそれをすっかり忘れている。自分は人でなしだなぁと恥ずかしくなる。彼の話はほとんど現在取り組んでいるビジネスの話で極めて真剣に真面目に必死にやっていることがわかる。当時の僕のように健康を害しかかっているのに無理やり頑張っている感じだ。何もそこまでやらなくても~、という言葉をかろうじて飲み込んだ。

正直、会社を退任してからはほとんど会社のことは思い出さない。いや「ほとんど」ではなく「全く」というのが本当のところだ。真剣に仕事をしている彼に「いや、僕の毎日の生活は『ゲゲゲの鬼太郎(オバケにゃ学校も試験もなんにもない)』みたいなもので、、、」とは到底言えなかった。「とにかく健康にだけは気をつけて」と駅で別れた。

 

平均律クラヴィーア曲集第2巻 全曲演奏会

宝塚ベガ・ホールで平均律2巻の全曲演奏会があるということで聴きに行ってきた。ピアニストは有馬みどり。これまで未聴のピアニストだが、過去、リストの超絶技巧練習曲全曲やベートーヴェンソナタ全曲など大規模な取り組みをしてきた人らしい。平均律1巻全曲も1年半前に弾いたそうだ。

平均律2巻というと自分はあまり弾いた記憶がなく(といいつつ、過去ログを見ると15年前に2番のフーガや22番の前奏曲を譜読みしようとしたらしい。楽譜にもその形跡(書き込み)が見られる)、聴く方でも9番とか22番(←これが規模も大きくて素晴らしい曲と認識)以外はあまり聴き込んだ記憶がない。そういう意味でも新しい発見があるのではと楽しみにしていた。

宝塚ベガ・ホール。自分もこの舞台で弾いたことあったよなーと懐かしい。ピアノがスタインウェイで良かった。intimateさを感じる素敵な舞台だ。

さて、演奏のほうだが、一言で言うと素晴らしかった。ペダルの使い方がロシアのピアニストっぽくて昔々聴いたタチアナ・ニコラーエワを思い出させた。ずっとペダルが踏みっぱなしのようでいて音が濁らない不思議な感覚。各声部もよく歌い然るべき部分で前に出るし後ろに下がるべき部分で下がる。と言って主題を「バケツを叩くような音」でひたすら弾くわけではなく思わぬところで対主題が前に出てきたりする。聴いていてとても楽しめた。

聴きながらの走り書きをそのままに。
5番のフーガ:響き(ステンドグラスから光の差す教会内部で聴いているよう)と速度(とてもゆっくり)が予想外で美しい。全く予想外の驚き。
7番、8番:素晴らしい演奏。9番は期待していたのでちょっと?。
11番の前奏曲:これもとてもゆっくりで深い響きが美しい。
12番:とても良い。素晴らしい。
14番のフーガ:とても良い。予想外の部分あり。
16番:うーん、少し残念だったかな?
17-21番:素晴らしい集中力。素晴らしい演奏。ブラボー。

さて僕が一番驚いたのは22番のフーガだった。この曲をこんなテンポ(遅い)で弾いたのは耳にしたことがなかったのだ。2巻の中でも白眉の曲なので多くの人が固唾をのんで聴いたことと思うのだが、とにかく僕はびっくりした。ゆっくり弾くことでこの曲のめちゃくちゃ複雑な構造は浮き上がり、なるほど、と思う部分はあったのだけれど反面、この曲の持つ峻厳さとかスピードが生み出す緊張感みたいなものは失われたようにも思われた。しかしながらこの曲を(技術的に)テンポを上げて弾くことはこのピアニストにとっては全然問題なかったはずなので、そこにははっきりした意図があったことと思う。こういうチャレンジをした、ということなのだろう。

しかしながら、平均律全曲を通しで弾くというのは途方もないことだ。我々素人からするとヒマラヤの高峰に酸素無しで登るようなもの。平均律は音を出すだけなら我々素人でも難しくないが、個々の声部、音が要求する「あるべき強さ」「あるべき音色」の『あるべき』の強さがあまりに強烈なので1曲のフーガを弾くだけで精魂使い果たしてしまう。
それを24曲一気に弾くというのは途方もない強靭な精神力と集中力で到底考えられない。今回のリサイタルはで緩みのようなものが感じられる曲は一曲もなかった。

正直、ブラボーである。以前、CDも沢山出している有名ピアニストの平均律1巻全曲を聴きに行ったことがあったが、その時の失望感とは真逆の満足感を味わいつつ帰途についた。